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2008年08月11日
デザイナーの無名と有名 | issues




あまり知名度というものに興味がない。
はず。
でもなんだか知人がメディアに取り上げられたりしているのをみるといい知れぬ危機感に襲われたりもする。

でも、よくよく自分の胸に手を当ててみると、有名になりたいという渇望がない。
別に有名になんてならなくてもいい、と人にいえば「怠惰」だの「負け犬」だのといわれたり。
ここ数年、超有名デザイナーの人生の絶頂と終局をかなり近くで見聞きする生活なのだけれども、「超絶頂」の寿命は時代を追うごとに年々短くなっているようである。
老年デザイナー曰く「最近のちやほやされているデザイナーは個性をメディアの食い物にされて、使い捨てられてかわいそう」
「デザインの無名性」「デザインからデザイナーが消えてこそ社会にとけ込み熟した証拠」という言葉はどこへ行ったのだろうか。
私はなんでデザイナーになりたくてなったのか。

「社会の役に立つ力」としてのデザインはやっぱり幻想ではない気がする。

夢見がちだのそれでは生活が成り立たぬなどといわれるけれども。

もし生活が成り立たないのであればデザイナーがいなくなった方がいいのでは。
需要がないところに無理矢理需要を作るのは健全な社会ではないのでどこかで破綻するだろうし。

日本のデザイナーは超有名になって引退してオトル・アイヒャー氏のような生活を送る、ということは許されないのかな。
なんだか引退=負け犬、みんな死ぬまで戦え!みたいな空気が漂っているよね。
でも死ぬまで働いている割には、より余裕のある人間的生活を送る西欧のデザイナーとデザインレベルは同じくらい。
ということはよほど無駄な仕事に時間を割いているのでは。
進行の不手際による赤字地獄とか。

日本にデザインの仕事はあふれかえって大量のデザイナーが存在しているけれども
そんなにたくさんデザインされた代物は社会に必要なのか
デザインされた社会のゴミを増やしてはいないのか
デザインしてほしくてもお金がなくて依頼できない小さないい会社などがたくさんあるのに
そこにはデザイナーがいない。
どうせ薄給で死ぬほどはたらくなら
薄給で社会に役立つと自分が信じられる小さな会社のデザインを請け負って
無名で細々生きてもいいのでは

というのは負け犬なのかな
24時間働けますか
が復活したRegain車内広告

眠い。
そんなこんなで今年も病気になってしまったし。




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