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2006年08月19日
ちなみに、なぜ山羊小屋なのか。 それは、わたしのドイツの思い出がひとえに「ziegenstall」(山羊小屋)だったからであります。山羊小屋にて、いろいろな動物にもまれたり、薪を拾ったり、食用の葉っぱを植えたり、庭の葉っぱを丁寧に洗ってサラダを作ったり。そんな生活をしているうちに、すっかり東京でのデザインの仕方を忘れてしまいました。東京では、条件に合う形で引き算なデザインをしてきたような気がします。企業と企業の費用対効果な思惑から脱出してしまうと、デザインの動機が「だれかを喜ばせたい」に変わってくるようです。私の取り柄といったらそれしかないので。正直いって「仕事、という枠組みがなくなったら、デザインをしなくなってしまうのでは。」という不安を胸にドイツに渡って3ヶ月もプランプランしていたのですが、意外にも「もっとこうしたら喜ばれる、驚かせられる」と何をするにも考えることができて、結果いろいろな作品を制作することができました。 願わくば、ドイツでの「利益を追求しないデザイン活動」を、東京で、経済活動の中で、仕事として、活かしてゆくことができたら、と思っています。 なぜ、経済活動を基盤に置くのかというと、資本主義経済には「自己修正機能」という希望があるからです。資本主義経済が、最高・究極・人類最後のシステムでは決してないと思うのだけれど「自己修正機能」とは、もの思う人がなんだらかんだら文句を付けることによって、なんとなくアメーバのように形を変えてゆけるということです。アメーバはアメーバだけど、生態系には違う影響をもたらすものに変化できるという。経済学部卒のくせにまことにゆるい解釈ではありますが。 もしかして、日本人の「贈与」の慣習の中に「脱資本主義経済」の切符が隠されていたりするのかもしれませんが、世界規模で実現されるとは到底思えません。だからやっぱり資本主義経済の中で一番みんなしあわせになれる方法を探ってゆくのが現実的かと思っております。 中世のヨーロッパ人と現代までの日本人の「贈与」の慣習については阿部謹也の文献を → |
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